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湘南理工学舎
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2024/01/31

 豆知識/数学

 博士の愛した数式【後編】

•原作:小川洋子著 新潮社
•映画:2006年1月21日公開
•登場する数/数式の一覧:

 前編のあらまし
  博士は大学の数学教授だった17年前, 交通事故により, その後の記憶は80分しか持続できなくなった。
今は1992年, その博士を世話するのが主人公の家政婦であり,博士の義姉から家政婦組合を通して雇われている。
博士は母屋の離れの平屋に住み, 母屋には博士の義姉が住む, 義姉(未亡人)は博士の亡き兄の嫁であり, 義弟である博士の面倒を見ている。
博士の要望で家政婦の子供(小学生) が放課後 博士の家に通うようになった。
博士と, 主人公の家政婦とその子供(愛称:ルート君) のあいだで繰り広げられ, また3人が博士の語る美しい数/数式を通して心がふれあっていく作品です。
 記憶が80分しかもたない博士と毎朝, 玄関では, 私の自己紹介から始まる:
「新しい家政婦です」と, そして博士は「君の靴のサイズは幾つかね」と聞く→「24です」と答える
「いさぎよい数字だ!…4の階乗だ」
次は「君の電話番号は何番かね」
\(\quad \vdots \)
 このようにして毎日玄関で数字の会話が繰り返される。
博士は上手な教え方で…数/数式に驚きのため息, 美を讃える言葉, 瞳の輝きは意味深いものだった。
博士のメモに "新しい家政婦さんの似顔絵" の横に "その息子10歳" が描かれている。
ルート が加わった3人の生活リズムは軌道にのりルートは博士に甘え, 思ったことも言えて, 博士もそれを受け入れ楽しんでいる。
\(\quad \vdots \)

【後編】

 博士の書斎の本棚を整理している, 下の段で数学書の本に潰されそうなクッキー缶をみつけた。
野球カードが100枚以上, びっしりつまっている。
しかも 図書館以上にきちんと整理されている。
ただ一人, 江夏だけは特別, 彼だけは"ポジション"ではなくて, "江夏豊"の厚紙で仕切られている。
同じ江夏でも,ここにあるのは痩せた精悍な姿のカードであり, ユニホームは全て阪神の縦縞だった。
1967年, ドラフト1位で阪神に入団, 翌年401奪三振の世界記録樹立。
1971年, 9者連続三振。
1973年, ノーヒットノーラン。
不世出の天才左腕 …すべての背番号は完全数の28である。
さらにほこりだらけの30冊ほどの大学ノートの束があった, 家政婦が恥ずべき行為を承知でノートをめくってしまった。
そこには\(\small{\sqrt{  }}\), \(\small{\sum{ }}\) 等の記号と数式らしきが散らばり, 所々乱雑に塗りつぶされていたり, 博士がいつか話していたアルティン予想の証明?が書いてるのだろうか, 博士の得意な素数の論文の下書きなのか, 学長賞No384を受賞した論文なのか…私は自分なりに多くを感じた。
総括すればそれらは博士の脳裏を映した…美しい数式があふれでていた。
鉛筆のかすれた跡からは情熱を, ばつ印には焦りを, 強く引かれた二本の下線からは確信を, あふれ出る数式は世界の果てに導かれるようだった。
 "一日中, 家に閉じこもっている博士", "博士と野球話をする息子" に実際の阪神の試合を見せてやりたくなった。
高齢な博士と息子の少年が球場でプロ野球試合を見る機会はさほど残されていない。
給料日に 6月2日の対広島戦の, 内野指定席のチケットを3枚 買った。
問題は どうしたら博士を外にだし, 球場にいくのか, 博士の知っているタイガースの選手が出場していない。
…悩んで, ルートにも相談した…
幸い博士は数学のことばかり, たまに外の庭を見る他, 外界に興味がない。
テレビはおろか新聞も, ラジオも聞かない。
当日, 天気が良く, バスを乗る80分前に野球観戦を持ち出した。
ルートの「ねぇ行こうよ, 博士と一緒のほうが楽しいよ!」…これが決めて博士は承諾した。
江夏の件は 江夏はおととい巨人戦に先発して今日はベンチ入りと説明しておいた。
後になって球場での特徴的なこと思い出すと:
博士は 野球由来のデータと数学を絡めた話をはじめた。
「ダイヤモンドは1辺が27.4mの正方形」
自分とルートのベンチの番号が7-14と7-15に気づくと:
714はベーブルースの1935年での通算ホームラン数, 1974年ハンクアーロンがこの記録を破ったホームラン数の715本」
「714と715の積は, 最初の7つの素数の積に等しいんだ」
\(714\x 715\)\(=2\x 3\x 5\x 7\x\)\(11\x 13\x 17=510510\)

「714の素因数の和と, 715の素因数の和は等しいんだ」
 (素因数とは自然数の約数になる素数のこと)
\(\color{red}{714}=2\x 3\x 7\x 17\)

\(\color{red}{715}=5\x 11\x 13\)

\(2+ 3+ 7+ 17\)\(=5+ 11+ 13=29\)

「この珍しいペアのことをルース=アーロン・ペアという」
(野球選手の名前が由来の数だ!)
「最小は(5, 6)だ, 次に(15, 16), (77, 78)…だが無限に存在するかどうかの証明は大変だぞ!」
未解決問題だ!, その後も博士は野球のデータについて話を続けた。

「うん, 分かった。ねぇ, 新庄がでているよ」とルートは上機嫌である。
「マウンドの高さは10インチ, ホームに向かって6フィートの位置まで1フィートごとに1インチ下がっている」
広島打線が1番~7番まで左打者が続くので:
 「左対右の打率データは0.2568, 右対右は0.2649」
幸いにも私たちの左側のグループは終始, 賢明で 博士の会話 に無関心を貫いてくれた。
右にいたおじさんは雰囲気を和ませくれた。
「下手な解説者よりよっぽど年季が入ってるね!」
「ついでに阪神の優勝マジックも計算してくれよ」
………
博士はまこと, 野球に詳しく, よく知っていた。
試合は6対1で阪神が勝った。
試合は終わり博士の離れについたのは10時近くだった。
博士は着替えてベットへ潜り込んだ。 「今日はありがとう…とても楽しかったよ」
と目を閉じる前に言った。
「そうだ何もかもルートのおかげだ…早く帰って寝なさい, 明日も学校だろ?」
ルートの答えを聞く前に博士は目を閉じた。
 博士の唇がひび割れ, いつの間にか髪の生え際に汗がたまっていた。私は額に手をあてた。
「まあ, 大変」博士は熱をだしている 相当な熱だった。
予想通り, 診察券も含め看護に必要なものは何もなかった, 義姉の母屋の明かりはあったが, 義姉からは離れのトラブルは母屋には持ち込まないこと …との約束があった。
ビニール袋に氷を入れて……ルートが熱を出したときと同じ方法で対処した。
冬用の毛布を掛け, 水分補給のお茶を用意し また, ルートは書斎のソファに寝かせた。
\(\quad \vdots \)
次の朝, ルートはアパートへ寄って学校へいった。
博士は相変らず眠りは深く, 目を覚ます気配はなかったが、お昼ごろ台所にいると, 書斎で物音がした。
「起きたりしてはいけません。…安静にしていないと」
「さあ, 新しい下着に着替えましょう, …リンゴジュースでも持ってきましょう」
覗き込む私の肩を, 博士は押し戻し, 顔を背けた。
初歩的なミスをしたことに気づいた。博士は昨日のこと, 私のことも忘れている。
やがてすすり泣きが聞こえてきた。彼は上着の目立つ位置にあるメモを読んでいる。
"私の記憶は80分しかもたない"
毎朝, 目が覚めると かかっている病を自らのメモにより宣告される。さっき見た夢は昨夜じゃなく遠い昔のことに気づかされる。
毎日, ベットの上で, 彼がこんな残酷な宣言を受けていたことを, 私は一度も思いを馳せたことはなかった。
「私は家政婦です」
「夕方には息子もやってきます, 顔の形が平らだからルートと博士が名付けてくれました」
博士は潤んだ瞳になった。
それからはいつもの挨拶(誕生日問答, 友愛数220-284)をして博士は受け入れてくれた。
熱は3日続き、4日目の朝, 熱が下がった以降は順調に回復した。
数学雑誌の懸賞問題にも再開, 考えている時, 私が邪魔したと不機嫌になり, 夕方ルートを出迎えて抱擁し, 算数のドリルを解き, ルートの頭を撫でるなど, いつもの状態にもどった。

 博士が元気になり家政婦の組合長から呼び出しを受けた。
「まず君ね」「クレームだよ」「先生の部屋に泊まったんだって」
「誰からのクレームですか」博士か義姉のどちらかである。
「下品な勘繰り, 不愉快です」「博士が病気, 熱を出されて, そのままにしておけず, ルールを無視しました。しかしその時しなければならない当然の義務を果たしたと思っています」
クレームは依頼人の義姉であった。あの時の母屋の明かり…覗いていたのか。
「先方には君を監視する権利はあるよ」, 「君には担当を外れてもらう」
こうして私は博士の家政婦を首になった

 今度の雇主は税理士事務所経営者の自宅と事務所の区別ない仕事だった。奥さんは意地が悪かった。
私は家政婦としていつも通り仕事をした, 違うのは博士を見習いエプロンのポケットにメモと鉛筆を忍ばせていた。
ルートから「何故, 博士の家に行かないのか」→「事情が変わったの, 込み入った事情よ」て返事した。
仕事をしていると様々な素数と出会い, 気になってしまうのである。
博士の言っていたことを思い出す:
「実生活に役に立たないからこそ, 数学の秩序が美しい」
「数学の未解決問題が解明されても今すぐに生活が楽に, また金儲けにはならない。しかしその発見が現実に応用されることはある。 楕円の研究は惑星の軌道に, 非ユークリッド幾何はアインシュタインによって宇宙の形を提示した, 素数でさえ 暗号の基本なり戦争の片棒をかついだ …醜いことだ。しかしそれが数学の目的ではない, 真実を見出すことのみが目的なのだ」

あるとき買い物から弁理士宅に帰ると, 家政婦組合から電話があり「今すぐ博士の家に行って, 息子さんが厄介なことになっているから」
弁理士から嫌味をあびせられる中, 博士の家に急いだ。
 博士の家に行くと, 博士とルートの他に義姉と新家政婦がいた。
暫くしてルートは「図書館で借りた『ルー・ゲーリック物語』を一緒に読もうと思ったんだ』とようやく話した。
義姉は "博士と私, ルートの関係" を誤解したままで脱却できずにいた。
「なぜ辞めた家政婦の息子がここにいるのか」「あなたは何か企みがあって子供をここに送り込んでいるのでは…」 →「息子が楽しい気分でいてくれること以外の望みはありません」
「それともお金ですか」→「聞捨てなりません, しかも子供の前で」
新家政婦が定時間で帰った。
「あなたは見込み違いしてませんか, 義弟には財産はありません, すべて数学に注ぎ込んでいます…」
「義弟には友人はいません, 今まで一度も訪問はありません」→「ならば, 私とルートが初めての友達です」
\(\quad \vdots \)
 不意に博士が立ち上がった。
「いかん。子供をいじめてはいかん」
そしてメモ用紙に何やら書き付け, それを食卓の真ん中の置き、毅然とした態度で部屋から出ていった。
そこには怒りも混乱もなく, ただ静寂だけが彼を包んでいた。
残された3人は黙ってメモをみつめてじっとして動かなかった。
そこにはたった一行, 数式が書かれていた。

 《\(\ e^{i \phi }+1=0\ \)》
「世界で一番美しい数式」と言われている式です。
もう誰も余計なことは言わなかった。 義姉の瞳から少しずつ動揺や冷淡さや疑いが消えてゆくのが分かった。数式の美しさを正しく理解している人の目だと分かった。
\( \quad \vdots\)
ほどなく家政婦組合から, 博士宅に復帰する旨の通達があった。理由は定かでない, 私にかけられた理不尽な誤解が解けたのか確かめるすべがなかった。
再スタートは7月7日, 七夕の日だった。 玄関での博士は「出生時の体重はいくらかね」→「3217グラムです」(ルートの体重)
玄関での数字問答は相変らずだったが, 体重の質問は新手の質問。
「2の3217乗の引く1はメルセヌ素数となる」
これで今までと同じ家政婦の仕事にもどった。
0と自然数n について \(M_n=2^n-1\) で表せる数\(M_n\)をメルセンヌ数, メルセンヌが素数のときメルセンヌ素数という。
メルセンヌが素数ならばその指数\(n\) は素数である。
またメルセンヌが素数ならば完全数は次式で表せる:
\(2^{n-1}M_n=2^{n-1}(2^n-1)\)
メルセンヌ素数は3, 7, 31, 127,…
現在51個知られているが無限にあるかどうかは未解決問題である。
私は博士がメモに書いた数式を調べるために図書館に通った。
博士に聞けば教えてくれるだろうが, 一人でじっくり向き合いたかった。
この数式が書いてある本を探すの容易ではなかったが「フェルマーの最終定理」が書いている本があった。
博士から定理の名前だけは聞いていた。
その本の第3章に博士の書いた数式を見つけた。それはオイラーの等式であった。
《\( e^{i \pi }+1=0\)》
・円周率:\(\pi=3.14 \cdots\),  ・ネイピア数:\(e=2.71 \cdots\)
・\(\pi, e\) は循環しな無限小数
・虚数とは2乗すると-1となる数 \(i\x i=i^2=-1\)
・虚数単位: \(i=\sqrt{-1}\)
・ゼロ 0: 長い間"0"は数ではなかった。
\(i\) は博士から教わった虚数の "空想の, 恥ずかしやの数"。
ネイピア数\(e\) を調べると\(e\)は次の式を展開すれば求まる:
(\(e\) は自然対数の基底)
\( e=\displaystyle \lim_{ n \to \pm \infty} \left ( 1+ \frac{1}{n} \right )^n\) \(\quad =1+\frac{1}{1}+\frac{1}{2}+\frac{1}{3}+\cdots\)\(=2.71828\cdots\)
nが無限大\(\infty\)だから, 無限級数と呼ばれている。
" \(\bv{\pi,\ e}\)… 果ての果てまで無限に続く数"  と  " \(\bv{i}\)…決して正体を見せない虚 (うつ)ろな数"
それらが組合わせあって \(\ul{ e^{i \pi } }\) となり, 簡単な軌跡を描き 一点に着地する。
そして一人の人間が "1" だけ足し算をした途端, どんな小さな端数もなく, マジックのように すべてが "0" に抱き留められる。
もっと詳しく【参照先】

 あの時, この一つの式を書き残すだけで博士は私と義姉との言い争いを収めてしまった。
なぜあの時に博士がこの式を書いたのか…彼が心配したのはルートである, "ルートは自分のせいで母達が争っている" と思っていないか。彼は自分ができる唯一の方法でルートを救い出した。
今思うと, 博士が幼いものに向ける愛情の純粋さには言葉を失う。
  7月になり梅雨が明け夏休みになるとルートは朝, 私と一緒に博士の離れに来るようになった。
8月には ルートは4泊5日のキャンプにでかけた。
夕方前, いつの間にか雲が厚み帯びて「あっ, 雷」と, たちまち雨が降り始めた。
\(\quad \vdots \)
「ルートがキャンプしているんです。 ルートが心配です」
「ルートがいないと心の中が 空っぽになったような気分です」

「空っぽとは, つまり0(ゼロ) を意味するのか, 君の中には0 が存在することになる」
0 を発見 した人間を偉大だと思わないか」
「0 は人類のはじめからあったわけではない, 我々は人類の進歩の偉大さに感謝すべきだ。いくら感謝してもしすぎることはない」
「古代ギリシアの数学者は何もないものを数える必要はない, ないんだから数字で書き表すのも不可能だ」 「このもっともな論理をひっくり返して, 無を数字で表現したのが偉大なインド人の数学者だ」
「38と308が区別できるのは0 のおかげ」
「物差しを考えよう!」
「1ミリの刻みが, さらに 5センチごとの大きな目盛りがある, その目盛りの一番左は?」→「0 です」
「0 がない物差しなんか考えられないはず, 今, 心置きなく物差しが使えるのも0 のおかげだね」
「0 の驚異は記号や基準だけでなく, 正真正銘の数である。最小の自然数1 より, 1 だけ小さい数…それが0 だ。 0が登場しても、計算規則は乱されない。さらに矛盾のなさが協調され, 秩序は強固になる」
「\(\small{1-1=0}\) 美しいと思わないかい?」
\(\quad \vdots \)

予定通に ルートは帰ってきた。お土産は木製の眠りウサギの置物, 博士はそれを机の上に飾った。

 博士とルート, 私が この博士の離れで過ごせる日はそれほど長くなかった。
夏休みが終わり, ルートの新学期が始まってすぐ、数学専門誌の"Journal of Mathematics" から懸賞問題1等賞 の知らせが届いた。
案の定, 博士は喜ばなかった。
「発行以来の最高額の懸賞金ですよ」→「はあ…」
「僕がやったのは神様の手帳をのぞき見して, ちょっとそれを書き写しただけだよ」
「お祝いしましょう, あっ!, ルートの誕生日祝いも一緒にやりましょう」
ルートの誕生日の9月11日(金)にお祝いの日に決定した。
博士へのプレゼントにはルートと相談して"江夏の野球カード"にした, しかし今, 江夏の野球カードは売っていない。
入手には大変苦労した…最終的に家政婦仲間の母親がやっていた雑貨店の納屋に野球カードがあるとのことだった。
それがまさに探していたカード, 1985年限定のプレミアムカードだった。
 誕生日会ではケーキの蝋燭を消して, 灯りがつくと, 博士はルートにグローブのプレゼントを渡した。
ルートは博士に抱きついて大喜びしたが, 博士はどうしていいのか分からず, もじもじしていた。
次に博士がルートからプレゼントのカード受け取り, そのカード見つめ何か言おうとして顔を上げるが…
ただ唇を震わせだけで何も語らず, それがルート自身あるいは素数であるかのように, いとおしくカードを胸に抱きよせた。

 突然だった, パーティーが終わった翌々日に博士は専門の医療施設に入ってしまった。
義姉から連絡があり「前々から施設に申し込み、空きを待っていたのです」
「あなたもお気づきでしょう, 義弟の80分のテープ(記憶)は壊れてしまっています…」
「私は付き添っています, 義弟はあなたを覚えることは一生ありません。けれど私のことは忘れません」
\(\quad \vdots \)
 私とルートは1か月か2か月に一度, サンドイッチのバスケットを持って博士に会いに行った。
ルートは博士からプレゼントされたグローブを持参した。
義姉が付き添うこともしばしあった。
これは博士が没するまで何年も続き, その間にルートは中学、高校, 大学に進んだ。 博士のシンボルはクリップされたメモではなく, 今は首からぶり下がる江夏の野球カードだった。
最後の訪問になったのはルートが22歳を迎えた秋だった。

「2以外の素数は2種類に分かれる, 知っているかい」
「自然数n とし, \(4n+1\) か \(4n-1\) のどれかだ」
「例えば \(\small{13=4\x3+1}\) と \(\small{19=4\x5-1}\)だ」
「さらに前者は二つの2乗の和となる」
「例えば \(\small{13=2^2+3^2}\) だね」
\(\quad \quad \vdots \)
「ルートは中学の教員採用試験に合格したんです。来春には数学の先生です」と博士に報告した。
博士は身を乗り出して、ルートを抱きしめた, 持ち上げた腕は弱々しく, 震えてもいた。
ルートはその腕をとり, 博士の肩を抱きしめた, 胸で江夏のカードが揺れていた。

1993年6月24日の新聞に:
「プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ(イギリス人)によりフェルマーの最終定理が証明された。
この定理は17世紀にフランスの法学者のフェルマーが提唱した定理。
フェルマーの最終定理  
下式のn が3 以上の自然数に対して
 \(x^n+y^n=z^n\)
となる自然数の組(\(x, y, z\))は存在しない。
長年, 未解決であった問題がワイルズにより解決した, そこには日本人数学者が大いに貢献した」 とあった。
…《完》…

  

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[コーヒーブレイク/閑話]…お疲れさまでした

興味のある方へ

フェルマーの最終定理


 "フェルマーの最終定理"の名前自身に違和感(定理とは証明されたもの)があるが, さておき, この式は一見, 簡単そうな式の証明, しかし, 誰が取り組んでも証明できず, 偉大な数学者オイラーも含め, 3世紀半に渡り多くの数学者を悩ましてきた定理の証明。
日本の数学者が発表した「志村・谷山予想」が大きな起点となり, その後急速に研究が進み, 最終的にワイルズが証明して,なんと350年かかり証明の終止符が打たれた。
 この予想は1955年9月, 日本で行われた戦後初の数学の国際会議において谷山 豊 が提出した書類に書かれていた。その後, 谷山は自ら命を絶ってしまい(※1), 志村がその研究を続け「志村・谷山予想」を完成させた。(※2)
この予想は「20世紀の数学の快挙の一つ」と言われている。
志村・谷山らは楕円曲線とモジュラー形式という関係なさそうなものが実は同じものであると予想した。
この予想が証明できれば"フェルマーの最終定理"の証明となることをドイツのゲルハルト・フライが予想し, アメリカのケン・リベットがこの予想を証明した。
この結果をみて,アメリカのアンドリュー・ワイルズが証明にとりかかり,1994年「志村・谷山予想」の証明に成功し, この"フェルマーの最終定理"の証明が完了した。
※1谷山 豊(1927-1958)
 谷山は次のような遺書を残し自殺した。
「…将来に対する自信を失った。 僕の自殺が一種の背信行為であることは否定できないが、…私がこれまでの人生で行ってきたように、最後のわがままとして許してほしい。」 その後, 婚約者も自ら命を絶った。遺書には「…私たちは何があっても決して離れないと約束しました。…」 と書かれていました。

※2 エドワード・フレンケル教授(カルフォルニア大)の解説
 教授はNHKの「数学ミステリー白熱教室」で次のように解説/主張している。
どうしたらこんな(谷山の発見のこと)思い切った 洞察, 革命的な発見ができたのか不思議に思った。
 今や「コンピュータが人間に追いつき,洞察,直観,ひらめきも 計算できるようになった」とよく聞く。
しかし, これに異議を唱えたい:
数学の研究こそ人間の直感, ひらめきが不可欠であり,これはまさに "谷山の予想" のような瞬間である。
この様な発見をするとき, 普通の思考とは違う何かの力が働くと考えている。
 私も同感です, これは数学の研究のみならず, 様々な分野, 領域, 場面 にもあるはずです。